お寺の経営を左右する葬祭と墓地経営の実情

終活情報

お寺の経営を支えているのは葬祭と墓地経営です。

これからの葬祭と墓地の在り方を考えながら、仏教界に残るお金や制度の問題について、分かり易く解説します

お寺とはいったい何なのか?

現在、日本全国には、7万5000もの仏教寺院があると言われ、コンビニエンスストアより多い数となっています。しかし、仏教寺院がお参りする人であふれていることはありません。

そして、これからは、お寺も淘汰の時代に入っていきます。それは、多くの日本人が、お寺の存在意義事に疑問を持ちはじめているからです。

法律上の立場から見れば、仏教の普及を行う宗教法人の施設であり、多くの場合、その法人の代表者を務めるのが住職となります。

そして、宗教法人法では、各寺院に三人以上の責任役員をおき、その一人を代表役員とすることが義務づけられています。

また、財産の処分など、お寺にとって大切なものごとを決めるには、宗教法人法で役員会の三分の二の議決が必要であると定められています。

ですから、原則としては、代表役員である住職が進めたい事案があっても、残りの責任役員が反対すれば通りません。

一方で…、

住職が気に入らない役員がいれば解任し、自分のイエスマンで役員会を固めることができるのが、お寺というの組織の実情でもあります。

以下に宗教団体の目的と形式的に都道府県に提出を義務づけられているものを整理しておきます。

【宗教法人法における宗教団体の目的】
❶宗教の教義を広める
❷儀式行事を行う
❸信者を教化育成する

【宗教法人が形式的に都道府県に対する提出物】
❶規則(それぞれの宗教法人特有のもの)
❷収支計算書(支出の部と収入の部のみで構成)
❸財産目録(お寺が保有するすべての財産)

宗教法人の二重構造

仏教に限っていえば、宗教法人は包括する宗教法人(宗派など)の元に各宗教法人が連なる「二重構造」になっています

一般的には、曹洞宗や臨済宗といった宗派の本部が、属する末端のお寺をがっちり管理しているように思われがちです。

しかし、実態はまったくそんなことはありません。

すべてのお寺は、所轄の都道府県に毎年、収支決算報告書を提出しなければなりませんが、同様のものを宗派本部やその配下組織が求めてくることはないからです。

各寺院の活動状況についても、宗派本部はほとんど把握していないといってよく、各寺院の住職には、厳然とした独立性が認められているということなのです。

宗派本部が各寺院に求めているのは「経済的基盤」であり、「上納金」が滞りなく納められていれば、それでよいのです。

宗教法人の現状

世襲の現状

明治になって、僧侶の妻帯が認められるようになり、いまでは、お寺全体の7~8割が実子による世襲になったと言われています。

親のほうが我が子に家業を継がせたがるのは世の常ですが、現在多くのお寺で、優秀な子や孫が、田舎の小さなお寺を継ぎたがらないという事例も多く出てきています

なぜならば、一般のお寺で、ある程度の生活ができるのは住職だけであり、副住職以下は、同年齢のサラリーマンや公務員よりずっと少ない額しかもらえないのが普通だからです。

葬祭と墓地経営の実情

お寺の経営を支えているのは、主に葬祭で得られるお布施と墓地経営です。

ところが、葬祭においてお寺が果たす役割はそのほんの一部でしかありません。

火葬は例外なく公立の施設で行われ、ご遺体を搬送する霊柩車・花祭壇・棺・本膳(参列者の食事)・返礼品のいずれも、お寺の外部業者が手配するものです。

お寺がやることと言えば…、「お経をあげること」「戒名をつけること」くらいのものなのです。葬祭業という新しい業種が登場し、一般的になると、お寺から派遣される僧侶も、彼らが手配する要素のひとつになってしまったのです。

日本の人口は減少の一途ですから、ただでさえ減っていく葬祭の機会を奪い合うことになっていくでしょう。葬祭で受け取るお布施がなくなれば、一般的なお寺の経済的な基盤はほとんど失われてしまうのです。

葬式仏教の経済を支える葬祭の実態

お葬式とは、亡くなった人をあの世に送り出すための儀式であり、その霊を供養するために行われるものです。そして、祭祀とは、先祖供養のことであり、初七日・四十九日・一周忌などの法要などを指します。

一般的なお寺の場合、収入の約7割から8割が葬祭関係です。現在、どこのお寺でも、葬祭関係以外のお布施の機会は、なかなか見当たらず、その比重は大きくなるばかりです。

そして、多くの葬式仏教の担い手たちが、ここだけは絶対譲れないところが「戒名授与権」です。

【戒名とは?】
戒名とは、仏弟子となった証として与えられる名前です。つまり、「戒名=仏門に入ったことを意味する名前」と言えます。戒名は故人に対して付けるものと解釈されることもありますが、本来は生前に与えられるものなのです。

亡くなった人に戒名を授けることを仏教用語では、「没後作僧(もつごさそう)」と呼びます。

つまり、戒名を授かるということは、僧侶になるということなのです。

このような死後出家の考え方が、元来の仏教にはないものであることは、言うまでもありません。

実際、亡くなったあとに戒名をもらって「その時のお坊さんが師匠で、私はその弟子だ」なんて考える在家の人はほとんどいないでしょう

この習慣は江戸時代以降に作られたもので、何百年も続けばひとつの文化になるということなのかもしれません。

【お布施の額は何故変わるのか?】
戒名の内容は、宗派によって異なりますが、院号や位号という階級をあらわすパーツをともなっており、それによって、お布施の額の大小が存在するのが一般的です。この院号や位号の違いによって、そのあとに続く法事のお布施の額も増減するのです。

いまでは「戒名なんていらない」という人が増えているのが実情です。

仏式の葬儀をしておきながら、当人や遺族には、仏弟子になるという自覚がまったくないのですから、それは当然のことかもしれません。

仏教界は戒名に伴う階級を当然のものとして受け入れてきましたが、もともと院・居士・信士はもともと優劣の関係にはありません

これにわざわざ優劣をつけているわけですから、仏教的な価値観から遠くかけ離れたものとも言えます。

とは言うものの、たった数文字の言葉が大きな収益を生み出すものですから、まさに「打ち出の小槌」なのです

葬式仏教の経済を支える墓地経営の実態

葬祭によるお布施と並んで葬式仏教の収入の軸となっているのが、墓地経営です。

この墓地経営は一般の法人や個人がただちに参入できる業種ではなく、行政や特別に認可された非営利法人などにのみ許された代表的な「特権」のひとつです。

これを規定しているのが、昭和23年にできた「墓地・埋葬等に関する法律」(略して墓埋法)です。

現代では自然葬(散骨)という方法も一般的になってきましたが、墓埋法は、基本的に「死体の埋葬」あるいは「焼骨の埋蔵あるいは収蔵」についてのみしか規定されていません

お寺との関係が希薄になり、子や孫の墓守の負担の事も考えると、後腐れなく郷里の海や川に流してもらった方がいいという願いは理解できます。しかし、散骨の可否について法的な判断は避けられているのが現状なのです。

散骨について

散骨を行う場合、法律に接触する可能性がある法律は2つあります。

❶刑法第190条の「遺体遺棄罪」の解釈
散骨の法律・条例刑法190条「遺体遺棄罪」に関しては、平成三年に東京の市民団体が行った神奈川県沖での散骨について、法務省は刑法190条の規定は社会風俗としての宗教的感情を保護 するのが目的であり、 葬送の為の祭祀のひとつとして相当の節度をもって行われる限り遺骨遺棄罪にはあたらない、との見解を示しております。

❷墓地埋葬法第4条「墓地以外の埋葬の禁止」の解釈
墓地埋葬法4条に関して、当時の厚生省は墓地埋葬法はもともと土葬を対象としていて遺灰を海や山に撒く散骨は想定しておらず対象外で、散骨を禁じた規定ではないとの見解を示しています。以降、散骨は法律に反するものではなく死者を弔う祭祀として、国民感情に配慮しつつ相当の節度をもって散骨を行うならば違法ではないと言う法解釈が定着しています。

相当の節度とは?】
❶遺骨を骨とは解らない程度に粉末化すること
❷民家のある海岸線、海水浴場、船舶の航路では散骨しない
❸公共の場所(山、海、川、公園等)では散骨しない
❹散骨する場所の環境問題に配慮すること
❺土地所有者、農産物の風評被害に配慮すること

衛生上は何の問題もないので、いくつかの条例を設けて、もっと自由な埋葬を認めてもよいと思われますが、実際はそうなってはいないのです。

墓地経営の主体について

文京区の興安寺本陵苑は搬送式納骨堂のパイオニア的存在

墓埋法が墓地経営の自由な新規参入を制限していることは先ほど述べました。そして、墓地を経営する法人は大きく3つに分類することができます。

❶県や市町村などの行政が運用する公営墓地
❷公益法人が運営する墓地
❸寺院墓地

近年は都市部での墓地不足から、アクセスがよく手ぶらでお参りできるビル型の搬送式納骨堂などが都心部に多く開発されました。

この搬送式納骨堂は主に、寺院型の墓地が多かったのですが、横浜市は「日野こもれび納骨堂」として市町村が運用する公営の搬送式納骨堂を建設しました。

ただし、こちらの納骨堂も都心部では飽和状態を迎えつつあるようで、建設ラッシュは落ち着きをみせています。

墓地に関わる費用について

墓地を使用するときに支払われる代金は、どういうわけかお布施とは言わず、ストレートに「使用料」と呼ばれ「墓地使用料」「永代使用料」などと用いられます。

どんな山奥にある墓地でも、たとえ地代がほとんどかからないような場所でも、墓地として提供するには、土地や区画の造成をしなくてはなりません。

この造成費用が墓地の永代使用料に乗ってくるのです。

また、護持会費という名目で年間費用を請求しているお寺が一般的で、平均額は年間一万円と言われています。

これがお寺の安定した収入源にもなっています。このように、戒名授与を含むお葬式と法事、そして墓地経営が「葬式仏教」の経済を支えている生命線なのです。

お墓の在り方を考える

没後作僧のような死後出家の考え方が、元来の仏教にはないものであることはすでに述べました。また、お葬式や祭祀とお寺の関係も、百数十年の間のことでしかありません

であるにも関わらず、「葬式仏教」が連綿と続いてきた伝統であるかのように、僧侶も檀家も思い込んでしまって、それ以外のものを顧みようとしてこなかったことが現状につながっていると言っても過言ではないでしょう。

もともとお寺は、布教の場だけではなく地域における福祉や文化、教育の拠点の役割を担っていました。だからこそ、お寺がその原点に立ちかえることが必要になるのです。

お寺の本来の役割は、地域の人と人とが出会う場を提供することであり、学びの場や癒しの場を提供することにあります。

僧侶がお寺の外にどんどん飛び出すようになり、お寺がもっと開かれた場となっていくのであれば、地域におけるお寺の存在価値はもっと高まっていくはずです。